きっかけはタイ vol.25
タイから繋がるライフストーリー
内藤隆久 さん
◆竹原観光まちづくり機構事業課長
職場のガイドさんたちとバリ島で
地域に根ざした持続可能な
観光まちづくりを日本でも。
Q あなたにとってのタイとは?
生きがい
The salt of lifeの原点
Takahisa Naito
1969年東京都生まれ。大学卒業後、バンコク・ジャカルタ・香港・バリ島の旅行会社に通算約25年間勤務し、海外営業所の立ち上げや商品企画などに携わる。タイ国スリン県の象と象使い・地域が一体となった観光まちづくりや、カンチャナブリやチェンマイの地域に根差した持続可能な観光まちづくりの在り方に接したことで興味を持ち、2023年4月から地域DMOを目指す広島県の(一社)竹原観光まちづくり機構勤務。観光における地域の課題解決を目指し、地域ブランディング戦略やマーケティング、国内外からの観光客誘致および受入体制の整備と強化に取り組んでいる。
- タイで就職志望した動機は?
 学生時代にバックパッカーとして、頻繁にインドなどを旅していました。タイもそういう旅の中で立ち寄った国です。

 みなが就職活動をするようになった時期、日本はバブル景気の終盤で、身の丈にあってないことが起きていると感じていました。

 私が出会った東南アジアの国々は、苦しい現実もあるのに笑顔で生きていた。タイは以前から水が合っていると思っていたし、可能性を感じた国でした。
- どんな仕事を?
 日本人を顧客とするバンコクのツアー会社に就職しました。給料は安かったけれど、そこで経験が養われたと思っています。仕事の面でもそうですし、普通のタイの人に近い生活を経験させていただきました。

 その後ジャカルタと香港で勤務し、2007年にJTBバリ支店長から声をかけていただき仕事をすることに。バリで7年間勤めてバンコクに異動しました。
タイでの経験
- 2回目のバンコクでは?
 バンコク日本人学校の修学旅行も担当しました。探求型の修学旅行にしたいというご希望があったので、JICA(国際協力機構)にご協力を依頼して本当のタイを探求する旅行にすべく企画を練りました。生徒たちが主体的に考えるきっかけを作り、自ら考え行動して取り組む、その発端になる旅とは……。行き先はカンチャナブリです。国道から一本はずれた道を行くと別世界。普通ではなかなか行くことのできない奥地の村を訪問して小学校を訪ね、地元で採れたタケノコでメンマを作ったり、葉っぱで魚の人形を編んで伝統工芸を体験したり、4〜5本のコースを用意しました。
- 象の村との関係は?
 JICAの方がスリン県にいて、D–hope(タイ国コミュニティ起業家振興)プロジェクトの一環として和牛を育てていたんです。このプロジェクトのメンバーには民泊を営みながら田んぼを作ってライスワインを生産するなど興味深いチャレンジをしている人もいたのですが、みなコロナ禍で苦しい状況に。私に何かできることはないかと考えて、オンラインツアーを立ち上げて支援することにしました。スリンといえば象。象と象使いを取り巻く環境やイサーン(東北地方)の生活文化を発信し、ソムタムの作り方も配信。日本の視聴者からは「こんな状況だとは知らなかった」と多くの反響がありました。カンチャナブリをはじめこういったタイでの経験が今の竹原市の仕事に繋がっています。
 
タイ駐在時、サムットプラカーン県にある世界最大級の博物館公園ムアンボーランに家族と
チェンマイ大学でSDGsセミナー講演
瀬戸内海国立公園大久野島をリサーチ
地域の大切なものを再認識
- 現在は竹原市に?
 昨年の3月に帰国し、その年の4月から広島県竹原市の一般社団法人竹原観光まちづくり機構に勤務しています。始動したばかりのDMO(観光地域づくり法人)なので、まず観光資源を洗い出して、エリアブランディングを行うという基礎から始めています。地域の方たちとの合意形成が重要ですから、まずみなさんと一緒に5年間の観光ブランド戦略プランを考えました。竹原市を象徴するブランドロゴを作り、キャッチコピーを考えたのですが、ロゴはみなさんが思いを共有できるシンボル、塩の結晶にしました。竹原はかつて塩の産地で、塩で生きてきた地域。製造しなくなった今も塩にかける思いには深いものがあります。竹原をはじめ瀬戸内で製造された塩は大阪から蝦夷に向かう北前船に積まれて北に向かったんですよ。
- 現時点の課題は?
 コロナ禍で沿線鉄道の本数が1時間に1〜2本まで減らされそのままであり、高齢化が進む中、二次交通も整備が進まず、新幹線など交通費は他国と比べ割高な上、地方へ観光に行くにも以前の状態には戻っていません。機運が高まったテレワークやリモートワーク、ワーケーションも整備が整わず、便利さや快適さを求め労働力が都会に戻りつつあったりし、労働人口の空洞化はさらに悪化し、竹原市は30年後の消滅可能性都市からまだ脱却できていません。こういった事情から、観光の側面から、関係人口や交流人口の拡大を目指しています。
 
地元の高校の探究学習の授業で講演。 課題はSWOT分析を用いた持続可能な観光まちづくり
今年1月、バンコクで開催のイベントTITF(THAI INTERNATIONAL TRAVEL FAIR)に竹原市のブースを出展
- これからのプランは?
 町並み保存に取り組むとともに、見どころがたくさんあるのでそれを外に向けて広く知ってもらう活動に力を入れていきます。うさぎの島として知られている大久野島は、明治時代にバルチック艦隊を迎え撃つ砲台が設置された場所であり、太平洋戦争時には毒ガス製造工場がおかれ、その建物は現在、毒ガス資料館になっています。日本の歴史の中の一部としての戦争を知る、かけがえのない場所でもあるのです。

 竹原市観光のキャッチコピー「The Salt of Life」は生きがいという意味で、「塩」にかけました。地域にある大切なものを再認識して、生きがいを感じてもらえるように活動をしていきたいと思います。
- ありがとうございました。
広島県竹原市の観光サイト https://www.takeharakankou.jp/
取材・文/ムシカシントーン小河修子  写真/内藤隆久さん提供、タイ国日本人会事務局撮影
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