きっかけは
タイ
vol.26
タイから繋がるライフストーリー
音成貴道
さん
◆黒川温泉旅館 奥の湯 役員
黒川温泉観光旅館協同組合 代表理事
日系歯科医院の音成先生、故郷の
温泉旅館から地方創生に挑む。
Q あなたにとってのタイとは?
日本の地方の魅力を
再確認した場所
Takamichi Otonari
1970年熊本県阿蘇郡生まれ。鶴見大学歯学部卒業後、大学講師と東京歯科大勤務の歯科医師を経て、2007年に来タイ。音成デンタルクリニックをバンコクで開業。在タイ中は、すくすく会で子ども向けの歯みがき教室を実施。2017年、祖父の代から続く阿蘇郡南小国町の黒川温泉旅館・奥の湯を継ぐためにデンタルクリニックを譲渡して帰国。旅館の経営と共に、黒川温泉観光旅館協同組合代表理事として地域振興を図り、様々な変革に取り組んでいる。
タイで歯科医院を10年
- バンコクのデンタルクリニックの歯科医師として音成先生をご存知の方も多いと思いますが、
現在は温泉旅館の経営者です。
熊本県阿蘇の黒川温泉で奥の湯という旅館を営んでいまして、僕は三代目です。医者だった祖父が50年ほど前に黒川に温泉付きの療養所を作ったのが始まりで、祖父が亡くなり、やはり医者であった父が後を継ぎ、今のような旅館にしました。僕はこの黒川温泉のある南小国町で生まれ育ち、医大を卒業した後は大学の講師や歯科医師として首都圏で勤務していました。
- タイにはなぜ?
そろそろ開業しようかと考え始めた当時、日本にはコンビニの倍くらい歯科診療所があり、開業しても利益を上げ続けていくのがなかなか難しい状況でした。ならば海外でと調べたら、在留邦人が一番多いのがアメリカ、次いで中国、その次がタイでした。アメリカは食事が耐え切れなさそうだったし、中国は当時日中関係が悪かった。タイは学生時代に来たことがあって、御飯も大丈夫でした。
日本では最低5〜6000万円かかる開業資金も、タイではほぼ3分の1。日本で開業しても潰れるかもしれない。タイでやってもうまくいかないかもしれない。ならば競争相手も資金の負担も少ない場所のほうがいいと、思い切ってタイでやることにしました。
スックムビット・ソイ26にあった音成デンタルクリニック
- 海外です。不安では?
僕はそういうタイプではありませんでした。最初の計画が全然だめなら無理だと思いますが、状況に応じて修正しながら進めていける計画があれば、あとは努力をすればなんとかなると考えました。
- 大変だったことは?
通訳です。開業する時に通訳を雇ったのですが、1週間くらいで急に辞めてしまった。タイ人の歯医者とは英語で会話ができるけど、ローカルスタッフはタイ語でないと無理。もう1回雇うか、それとも勉強して自分がタイ語をしゃべれるようになるか。僕はタイ語を頑張るほうを選び、必死でやりました。その時が一番大変でしたね。
- 10年間経営したクリニックをやめたのは?
親が年を取ってきて、そろそろ旅館を継いでくれないかと言われまして…近くに住んでいないと何かあった時に何もできないですしね。ちょうどその頃子どもができて、どう育てていくかを考えたこともきっかけになりました。それに僕は都会があまり好きではなくて、いつか田舎に帰りたいとずっと思っていたのです。
- やめることに未練は?
なかったです。様々な症状の患者さんが来院されますが、10年やるとだいたい一通りの病気に遭遇し、その治療を毎日こなしていく。今のほうが日々新しい仕事に取り組めます。
- 歯科医としての仕事は?
何もしていません。自分の子どもの歯をみがいてあげるくらいです(笑)。すっかり医療とは離れていますが、バンコク時代の患者さんが旅館に来てくれることがあってうれしいです。
人手不足対策、再生エネルギー
- 黒川温泉の特色は?
基本何もなくて、旅館しかないところです。「黒川温泉一旅館」と言われて、旅館は部屋で、旅館を繋ぐ道は廊下、黒川一つで一つの旅館という意味なんです。阿蘇の大自然と上質な里山に囲まれて、地域一丸となってお客様をお迎えするというコンセプトは昔からで、それが30~40年ずっと続いています。
阿蘇の大自然に包まれた黒川温泉
旅館 奥の湯
建設中の商業施設Au Kurokawa(アウクロカワ)
- 黒川温泉観光旅館協同組合の代表理事としても活動されています。
組合長の仕事には町おこしとか地方創生が含まれていて、終わりのない仕事でやることが盛りだくさんです。
奥の湯のスタッフと音成さん(前列左から2人目)
- 今後は?
自分でやっているプロジェクトなのですが、今、商業施設を建設しています。8軒のレストランをテナントとして入れ、夕食を旅館では出さずに、そちらで食事してもらうという計画です。
- なぜ夕食を外で?
人手不足対策です。日本中で人手不足と言われていて田舎は特に顕著です。サービス業が最も人気がなくて、旅館業はまったく人手が足りていません。仕事の中で大きなウェイトをしめるのが食事の提供で、朝御飯の準備から晩御飯の片づけまでやると朝7時から夜9時までになり、労働時間が長すぎるので昼に3〜4時間の休憩が入る。それで帳尻を合わせているのが旅館の働き方でして、今の世の中に全く合っていません。朝夕の食事のどちらかをやめると8時間労働が可能になり、従業員も今の半分以下でやっていけます。
黒川の旅館全館で夕食を外で食べてもらうようにすると、レストランは集客できますからリスクが軽減される。そのような仕組みを考えて、実現するための商業施設を作っているのです。
もう一つは再生可能エネルギーです。この地域なら、水力、風力、それに温度差発電…熱いお湯と普通の水の温度差を利用して発電する発電方法があります。
食べ物は山に行けばあるので、電気がある程度自給できれば、他の地域に頼らなくても生きていける。黒川は自然が魅力で、環境を大事にしています。それを伝えるためにも再生可能エネルギーは進めたいし、町おこしの事業になると考えています。
- ありがとうございました。
取材・文/ムシカシントーン小河修子 写真/音成貴道さん提供