きっかけは
タイ
vol.31
タイから繋がるライフストーリー
園児は訪問を待っているのだと
引き止められて、知った活動の意義。
Q あなたにとってのタイとは?
出会に
恵まれた国
Takae Nishii
1962年、東京生まれ。1989年からバンコク在住。日本人会の会報でクロントイ幼稚園ボランティアグループを知り2003年から参加。月に一度、幼稚園を訪問し、リサイクル工作などをして園児と遊び交流するほか、就労の機会を得ることが難しい園児の保護者らにビーズ細工の講習をし、製品の販売をサポート。ビーズのプアンマライ(タイの花輪)は人気商品に。昨年の日本人会チャリティーバザーでクロントイ幼稚園としてビーズのクリスマスツリー作りワークショップを開催し好評を博す。
- タイ、そしてボランティアとの出会いは?
語学留学した先のアメリカで、後に結婚するタイ人の主人と出会い、1989年にタイに来ました。
上の子が幼稚園のとき「縁があってお世話になっているタイ社会です。余力のある人は社会貢献しましょう」というお知らせを日本人会の会報で見てボランティアをしてみようかなと。お受験社会のタイでは小学校の入学試験に親の面接もあって、何か社会貢献していますか?と尋ねられると園から聞いていて、そんなときに目にしたボランティア募集でした。
いくつか受け入れ先があったのですが、子どもが好きで何か作ることも好きなので、子どもたちと工作をして遊ぶというクロントイ幼稚園に行ってみようと連絡しました。2003年のことです。
- どんな幼稚園なのですか?
クロントイ幼稚園は正式にはスーン パタナ レ ボリカーン クロントイ(現在はスーン パンタキット クロントイ)という名称で、タイ最大のスラムと言われるクロントイスラムにあります。出生届が出されていないために一般の学校に就学できない子どもたちのために、1973年、タイ・キリスト教団によって設立されました。3歳から6歳までが対象で、当時は約60名の園児がいました。園の成り立ちや日本人会との関わりを私は参加してから知ったのですが、日本人会はすでに20年近く前から支援していたようです。
月に1回、事前準備をして子どもたちとリサイクル工作をするのが活動で、新聞紙を筒状に丸めて鉄砲を作り、トイレットペーパーの芯を飛ばす紙鉄砲が、子どもたちにすごく人気がありました。水ヨーヨーを日本から買ってきた人がいて、それも大ウケでロイカトンの恒例の行事になりました。
ボランティアメンバーとクロントイ幼稚園で。2列目右端が西井さん(2012年)
訪問は園児の「心の成長を促す」と訴えた園長先生
私が参加したときにはボランティアは6人くらいで、人数が足りないので募集広告を出したその時期に、強い思いで活動に取り組んできた3人が本帰国することになりました。状況を考慮して話し合った結果、訪問はやめることに。月に1回訪問して工作して遊ぶささやかな活動を、幼稚園の先生たちがどう思っているのかもわからなかった。それも判断の理由の一つでした。
ボランティアの人数が集まらないし、訪問活動はやめます。でも日本人会からの支援は続けるから安心して、言葉の問題があるときには手伝いますからと伝えたところ、当時の園長先生が「それは大変!」と必死な様子で5分くらいしゃべり続けたのです。
「人数が減っても工作が出来なくてもいいから、毎月の訪問だけはしてほしい。自分たちは受け身の立場だから、こうしてくれああしてくれとは言えません。だけどお願いだから毎月来てほしい」
「子どもたちにとってはここが初めての社会で、スラムの子は外から来た人が怖い。しかもボランティアたちは日本語を話しているからエイリアン。最初は近づかないし泣く子もいるけれど、上の子たちを見てみんな自分たちから遊んでと言うようになります。子どもたちの心の成長がみられます。だからやめないでほしい」と。
そのときに初めて先生の思いを知りました。そう言われたらやめられません。ボランティア仲間に伝えたところ、みんな泣いてしまって…じゃあ募集をかけようと「ボランティア解散の危機です」と訴えて、6〜7人が入ってくれました。
- 伝わったのですね。
このことがあって初めて自分の存在意義に気づきました。私が幼稚園とボランティアの間にいないと伝わらないことがある。私はこういうことを伝えていく役目を担わなければと思いました。
園長先生は子どものことを深く考えている方で気が合いました。これをきっかけに幼稚園に頻繁に行くようになり、厳しい環境にある子どもや困窮しているスラムの家庭のことなど、いろいろな話を聞かせていただけるようになりました。今日のお米を買えなくて園長先生のところに来た子も、両親が麻薬で捕まった子どももいました。母親は養育義務があるので執行猶予になったので先生たちと訪ねると、別の人と麻薬をやっているという状態。その子は孤児院にかけあって保護してもらいました。今は18歳になり地方の施設職員になっています。
タイに来ていた日本の大学生が参加したことがあり、その彼が私に尋ねたのです。「失礼ですが、これは望まれたボランティアなのですか?」と。やはり外から来た人が見ても、役に立っているのかと映るんだと思いながら、よくぞ聞いてくれたと園長先生との話をしました。彼は聞いてよかったですと言って帰っていきました。1年くらいボランティアに来ていた大学生もいて、私たちが行く日は出席率が良いということは彼女から伝え聞きました。
ビーズのプアンマライ(花輪)作りでスラムの女性に収入を
参加したての頃にビーズ細工が流行っていて、ビーズのプアンマライはお土産に人気でした。私も好きで趣味で作っておりメンバーにも広がりました。それで原価5バーツくらいでできて60〜80バーツで売れるからやりませんか?と園の先生に提案したら、今日食べるものに困っている人たちはいつ売れるともしれないものを作ることはないという返事。それならとボランティアのメンバーが千個くらい注文をとってきたんです。それで幼稚園で希望者に講習して2週間くらいで作りました。そこから、こちらで材料を用意して、スラムの人たちが作った製品をバザーなどで販売するという支援が始まりました。
クロントイ幼稚園でのビーズのプアンマライ講習会
- 現在はどんな活動を?
クロントイ幼稚園はコロナ禍でいったん閉園になり、翌年に再開したのですが規模は小さくなり、園長先生をはじめスタッフも変わりました。日本人会からの支援は続けていただいているので、コミュニケーションをとるお手伝いをしています。訪問などの活動は懸案事項ですが、昨年の日本人会チャリティーバザーで、現在の園長先生にも来ていただいてビーズのクリスマスツリーのワークショップをして盛況でした。これからも何らかのかたちで関わり、伝え続けていけたらと思っています。
- 他には何か?
「古典音楽の会」というタイの伝統楽器を演奏する会を始めました。不定期ですが土曜日に日本人会本館でやっていますので遊びにいらしてください。
クロントイ幼稚園の仲間と日本人会バザーでボランティア(2005年)
タイの伝統楽器を演奏する「古典音楽の会」(土曜日・不定期)。日本人会本館で
取材・文/ムシカシントーン小河修子 写真/西井孝江さん提供