タイのお菓子は二度おいしい
連載
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アールア・プラユック
工芸菓子として新境地を開いた
モダンスタイルの伝統菓子
花びらを飾り折りしたハスの花(ドークブア)を写実的に表現したアールア・ドークブア
อาลัวดอกบัวと、デージーのようなアールア
アールアは小麦粉と砂糖、ココナッツミルクを火にかけながら煉って、日に晒し表面を乾燥させた伝統菓子で、絞り出しでちょこんと絞った一口大が一般的な形です。いつからかは定かではありませんが、写実的に花を模したデコラティブなタイプを見かけるようになりました。バラやデージーもありますが、圧巻はハスの花。花托の周りにびっしりと連なったおしべ、その上に幾重にも重なる花びら。外側の花びらが飾り折りになっているのがタイらしい。パーツごとに口金を使い分けて、おしべや花びらを絞り出して作るようです。

精緻ではあるけれど、ぽってりとして重量感があり、どこかキッチュ。タイ菓子店の店主によると「工芸品のような技術を用いて作っているから〝アールア・プラユック〟(モダンスタイルのアールア)というけれど、個別には、ハスの形ならアールア・ドークブア、バラならアールア・ドークグラープと花の名前でよぶ」とのことでした。
お馴染みのちょこんと絞り出した
アールアは、ひと口サイズで食べやすい
持ち重りのするハスのアールアを眺めていたら、若きシャムの皇太子の日本でのエピソードを思い出しました。

皇太子が英国留学の帰途、明治の世の日本に立ち寄ったのは1902年12月のことでした。翌年1月、後のラーマ6世ワチラーウット皇太子は京都で、花をかたどった工芸菓子を献上されます。工芸菓子は、米粉と砂糖などを混ぜて作る雲平や餡を混ぜ込んだ餡平などの生地で、花や四季の風物を本物と見紛うばかりに作り上げる観賞用のお菓子で、1900年の第5回パリ万博に出品してヨーロッパで賞賛を集めたそうです。皇太子が製造見学を希望されたため、パリ万博でボタンの花籠を制作した工芸菓子の第一人者である若狭屋元茂の主人・高浜平兵衛が、京都ホテルで店員とともに、ボタンやハスの花などを実演制作しました。皇太子は味も美しさも絶賛してすべてを土産として持ち帰られたそうです。

若き皇太子が現代のアールア・プラユックを見たら何とおっしゃったでしょう。手のひらにのせたハスのアールアが120年前に連れていってくれました。
参考:歴史上の人物と和菓子「高浜平兵衛と工芸菓子」虎屋HP 2017.09.20
文・写真/ムシカシントーン小河修子
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