バンコクにクリスマス菓子があることを知ったのは数年前。ポルトガル伝来の焼き菓子を求めて、トンブリー王朝時代からポルトガル人の末裔が暮らす地区を訪ねたときのことでした。その日のお目当てカノム・ファラン・グティジーンの老舗タヌーシンで5代目店主からお話をうかがうなかで、この地区に代々作り続けられてきたグッサランというクリスマス菓子があることを知ったのでした。販売は12月から1月にかけての約1ヵ月だけということでしたので、その年の末に再び足を伸ばして路地裏の露店で念願のグッサランを求めました。
「ポルトガル人の祖先がこの地域に暮らし始めて250年。私たちはここでそれぞれの家に伝わるレシピで作ってきたの」と自宅の台所の前に台を出して売っていた女性が、お孫さんらしい若い男性と袋詰めしながら話してくれました。
グッサランは四つの輪を根元で束ねたようないっぷう変わった形で、白い砂糖衣を薄くからめた揚げ菓子。かりんとうのような味わいで、口当りは日本の一般的なかりんとうよりほんの少し柔らかめです。
台所の前に出した台にグッサランを並べて店開き 2019年12月29日撮影
昨年のクリスマスシーズンに、今度は同じ路地の ラーン・パー・アムパン(アムパンおばさんの店)で購入してみました。アムパンさんによると、材料は小麦粉、卵、バター(植物性とのことですからマーガリンでしょうか)、砂糖。材料の配合や形は家ごとに少しずつ違うけれど、どこも作り方は昔から変わっていないはずだと言います。
ポルトガルの クリスマス菓子※といえば、ドライフルーツを入れて焼いたボーロ・レイ(王様のお菓子)というリング状のイースト菓子だそうですが、このボーロ・レイとともにクリスマスをはじめとする祝いごとに欠かせないお菓子がフィリョーシュやコシュコロインシュという揚げ菓子で、むしろこちらのほうが歴史は古く幾種類ものバリエーションがあるそうです。
写真左:ポルトガル人の末裔たちが暮らす地区グティジーンはサンタ・クルース教会の周辺。教会は花市場タラート・パーククローンのチャオプラヤー川をはさんだトンブリー側の船着場の前に佇んでいる
写真右:グティジーンは入り組んだ細い路地がはりめぐらされている
老舗タヌーシンの勝手口に小さなクリスマスリース
フィリョーシュとコシュコロインシュは日本にもキリスト教とともに伝わったと考えられており、江戸時代の書とされる『南蛮料理書』(著者・成立年不詳:1680〜1730年と考えられている)に、それぞれ「ひりょうず」「こすくらん」という名前で 紹介されています。17世紀末の日本の「ひりょうず」には、揚げ菓子と「がんもどき」の2種類が存在し、現代にいたるまで「ひりょうず(飛竜頭)」は「がんもどき」の別名として残っています。しかし「こすくらん」は、キリシタン禁制の歴史のなかで消滅してしまったらしいのです。
初めて買い求めた路地の店先に置かれていたホワイトボードに、「グッサラン=GUSCURÃO」と書いてあったので調べてみたのですが、該当するお菓子を私は見つけることができませんでした。一方、コシュコロインシュで検索すると、2〜3本の切り込みを入れた四角い揚げ菓子などが出てきます。これを二つ折りにして切り込みを輪にしたらグッサランのような形になるのでは? 「こすくらん」と「グッサラン」は音が似ているような気もするし…。元は同じくコシュコロインシュあるいはそれに近いお菓子だった可能性もあるのではないか…と、想像力たくましく思いめぐらせながら揚げ菓子をほおばったクリスマスでした。
店ごとに少しずつ形がちがうのも楽しい
グッサランはクリスマス前から1月初旬までの販売。ポルトガルのクリスマス菓子ボーロ・レイは11月末からクリスマス、お正月、1月6日の「王様の日」にかけて菓子店の店頭に並ぶそうだ
参考文献/「南蛮料理書についての一考察」江後迪子、『ポルトガル菓子図鑑』『ポルトガルのお菓子工房』ドゥアルテ智子
文・写真/ムシカシントーン小河修子